スリランカはセレンディピティ発祥の地 じゃなかった!

以前、新婚旅行はスリランカだったよ~。なんて思い出話を書きましたよね。あれも途中なので、機会があれば続きをと思っているのですが今回は別口。うっかりしてましたが、スリランカといえばあれじゃないですか。そう、このブログの語源にもなったセレンディピティゆかりの国。いえゆかりどころかそのまんまスリランカです。え~とですね、スリランカの旧国名がセイロンだということはご存知ですよね。このセイロンを古典的なペルシャ語読みにするとセレンディップとなるそうです。

セレンディピティの元ネタは16世紀の童話

さてセレンディピティという言葉は、18世紀イギリスの貴族で政治家、小説家でもあったホレス・ウォルポールの造語です。元ネタとなったのは彼が子供の頃に読んだ童話「セレンディップの三人の王子」。1557年、アドリア海の女王と謳われた海洋国家ヴェネツィアで出版されました。今から460年以上も昔のこと。当時の日本はというと戦国時代の真っ盛り。桶狭間の戦いの3年前ですからずいぶんと古いお話ですね。

セレンディピティってもともとはなんなの

ホレス・ウォルポールさんはセレンディピティについて次のように書いているそうです。以下、wikiからの抜粋です。

素朴な疑問が

それにしても、スリランカのお話がどういう経路で16世紀のイタリアで童話となったのでしょう。16世紀といえば、スリランカはポルトガルの植民地的な位置づけだったはず。舞台はスリランカとなっているけど、イタリアとスリランカがどうしても結びつきません。

セレンディピティ「フェイク説」!?

ホントは違うんじゃないの。このお話、もしかして元ネタなしの創作?気になったので英語版のwikiにあたってみました。すると意外な事実が…。童話『セレンディップの三人の王子』は、サッサニー朝(420~440)を統治したペルシャ王バフラム5世の生涯を題材にしている。とあるではありませんか。サッサニーとは昔世界史の授業で習ったササン朝ペルシャのことです。え~スリランカじゃなかったんかい!

なぜだ、背景になにかあるのか。興味がわいてきた。

セレンディピティ≠スリランカはわかりました。でもまだまだ奥がありそうです。そういうことで、この話題もう少し引っ張ります。